第六節: ローマ人への手紙
神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。
忍耐を持って善を行ない、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命を与え、
党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
艱難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なう全ての者の上に下り、
栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なう全ての者の上にあります。
神には、えこひいきなどはないからです。2:6~11
人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です。神が唯一ならばそうです。3:28~30
彼(アブラハム)は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。
アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であること、サラの胎の死んでいることを認めても、その信仰は弱りませんでした。
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを固く信じました。
だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。4:18~22
…キリストによって、今私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
そればかりでなく、艱難さえも喜んでいます。それは、艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。5:2~5
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たち
のために死んでくださったことにより、神は私たちに対する
ご自身の愛を明らかにしておられます。5:8
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、
キリストと共に葬られたのです。それは、キリストが御父の
栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たち
も、いのちにあって新しい歩みをするためです。6:4
もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、
キリストとともに生きることにもなる、と信じます。6:8
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに
啓示されようとしている栄光に比べれば、取る
に足りないものと私は考えます。8:18
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。<中略>…神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。8:28~32
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。8:37~39
2に続く